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夜空を駆ける流れ星〜シューティングの死と再生
Written ByBig☆Burn


 シューティング(撃ちモノ)の売り上げが恐ろしく不調のようです。
ゲーム屋の店頭で怒首領蜂やらバトルガレッガがデモっていると、画面の端に追いつめられて圧殺されてしまいそうなイカツさを感じて、みんな買うのを思いとどまるのでしょうか?

 それなら、簡単なシューティングは売れても良さそうなものですが、アインハンダーフィロソマはさらに地を這うほどのセールスしか記録していません(しかも国民機のプレイステーション専用&大メーカーの作品なのに)。難易度(難しさ)は、インセンティブを阻害している要因としては、弱すぎるのです。
 では、なぜ売れないのか? わかりやすい理由のひとつは、初心者の慣れていない目には、ごちゃごちゃしていてキャラクターの区別さえ付けられない、ラッシュアワー的に混雑した画面イメージに求められます。

 対戦格闘を紙に描いてください、と言われたら、向かい合う2体のカカシで表現できてしまいます。しかし、ライデンファイターズ(でも何でも良いが)だと、100回クリアしたベテランでも、どこから取り掛かったら良いのか、途方に暮れるでしょう。
 無数のザコにボスといった構図は、常人のパターン認識能力をはるかに超えているのです。少なくとも、格ゲーから入ったビギナーが、おいそれと踏み込める領域ではありません。

 では、キャラクターの魅力が足りない、という指摘はどうでしょうか。普通の格闘ゲームとシューティングを区別する、一番目に付きやすい点です。
 が、これは反証(根拠がないことを裏付ける証拠)として、美形の超能力者たちを主人公にしたESPレイド(アトラス/CAVE制作)が挙げられます。ジャニーズ系の健全男子クールなアヤナミガイロリロリっとした萌え萌え規制法ロックオン少女と、天下無敵一触即発(触れるとイく)万全シフトが敷かれましたが、インカム(ゲームセンターの筐体に入れられた金額)としては惨敗に終わりました。

 見やすい理由は、アドバタイズ(客の目を引くための、ド派手なデモ)と、実際のゲーム画面との暴力的な差に帰せられます。オープニングでは惜しげも無く媚びを売っておきながら、肝心の戦闘場面では、背中を向けたウネウネ君(人間であるとアピールするために、腕や手をうごめかせている)がちょろちょろ動き回ってるだけ、とみっともなさ炸裂の見栄えでした。

 そしてこの失敗は、スタッフの怠慢よりも、シューティングの器がキャラ萌えに全然向いてないから、と見ることができます。何故って、顔が見えるほどガタイの大きなキャラクターなら、弾なんか避けること不可能だもの。さらに救いようのない結論ですなぁ。
 さて、これまでに分析した要因はシューティングの弱点でしたが、その衰退の最大のファクターは、むしろプレイヤーのゲームに対するスタンスの変化と、それに対してシューティングが意固地なほど変わらなかった点に求められるでしょう。

 昔のゲームは展開は一本道で多様さに乏しく、もしミス無しに1回目でクリアできれば、もうその作品は全部見たと言って良く、2回目にチャレンジする動機は(点数マニアでない限り)残されていませんでした。
 しかしアーケード(ゲームセンター用)ゲームはハード(機械)と込みで売られる高価な機材であり、リピーター(繰り返しプレイする人)がいないとモトが取れません。そこで、出来るだけ難しく壁を作ってラスボス(最後の強大な敵)は絶望するくらい強める方針が採られたのです。陸上競技にたとえるなら、多くのトラックを用意するのではなく、障害物を置きまくって、一度に走れる距離を50cmに限り、1年駆けてやっと1周させる、というほどの感覚でしょうか。

 こうした路線にもっとも忠実だったのは、実はシューティングでした。ゼビウス(単なる目安ですから、深く追求しないように)以降も、基本ラインに変化はなく、せいぜいボム(緊急回避用の武器、数秒間タマが当らなくなる)を追加する機体を選べるようにするくらいに留まったのです。

 しかしその横では、様々なゲームが進化を遂げており、より短時間に多彩な遊び方人間同士の対戦という、1つのステージ当たりの密度を高める方向に突き進んでいました。ストリートファイターはシリーズの最新作ZERO3なら、CPU(対コンピュータ)戦なら10分もあればクリアできますし、人間相手の対戦だと1分(10秒もあるか)で勝負が付く、といった具合です。

 それに釣られてか、ゲーム好きのスタンスも変質していきました。ちょうど、山頂に一歩ずつ前進する登山家から、1分でゴールを目指す短距離ランナーへの転向のように。また、鑿(のみ)ひとつでトンネルを掘りぬく孤独でストイックな求道者から、わいわいとタイムを競い合う、開かれたコミュニティ集団へと。
 彼らは難しいか、くだらないか以前に、クリアに掛かる時間を気にします。そして、コミュニケーションに使えないゲームは、敬遠されます。
 ひたすら独りきりで、長い長い道のりを、踏ん張ることを強いるシューティングは、時代そのものに否定されてしまった、と断言するのは悲観的にすぎるでしょうか。

 だから、盛り上げらないことを嘆くのは、根本から間違っていると言えます。もはやシューティングというジャンルは死んでいるのですから。
 しかし、シューティングは、いつか再生のときを迎えることでしょう。それは新世代のプレイヤーたちが、リアル志向のシミュレータ偏重に飽きて、記号化(現実にないことを、○や×のような記号で表現する、非常に観念的なもの)の極であるシューティングを、見直すのを待たねばなりません。
 全ての事物にはサイクルがあるという結論で、このコラムを締めくくっておきます。
 


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