もうひとつの方法論
1998年8月2日現在、日本に限らず世界中で無数のネットワークRPGの企画が進行中のことだろう。
でも、悲しいかなそのほとんどは広大な世界を提供し、そこで味わう悲喜こもごもの生活そのものがゲームプレイなんていう、てっとり早く言えばウルティマオンライン(以下UO)をみたいな企業体力にものを言わせるだけの力技勝負の世界に移行しようとしてる。
企画の土台が似たり寄ったりならば馬鹿馬鹿しい体力勝負になるのは目に見えているけど、それではつまらないことおびただしい。
そんなのは物量と物量のぶつかり合いでしかなく、あまりにも頭が悪い世界である。
例えば、UOというのはPSに例えればワールドネバーランド(以下ワーネバ)みたいなジャンルである。確かにワーネバは楽しい、でも世の中のRPGが全部これみたいになったらどうだろうか?
例えば鱈の白子という珍味がある。これは確かに旨いもんだけど、いくら旨いからってどんぶり一杯は絶対食べられない。俺はどんぶり一杯出さたことがあるから断言してもいい。
確かに広大な世界を提供し、そこに投げ出されるのは楽しいことだ。だけど、それだけがRPGではないと思うのだがいかがだろうか?
例えば、今や死につつある斜陽産業としてのテーブルトークRPGというものがある。これが廃れつつある元凶は、いろんな意味でめんどくさいことに他ならない。
RPGはもともとテーブルトークの楽しさを補助したりソロプレイしたりするために発達したものだから、コンピュータによってそのめんどくささだけを肩代わりするシステムを模索する価値がある。つまり通信というテクノロジーが有効なレベルになったから、一度原点に帰ってみようということだ。
例えば、プレイ開始時に接続している待機者のうち一人をセッション管理担当のゲームマスターとして立て、残りの参加者数人をプレイヤーとする。
ゲームマスターは有りものミッションソースファイルを選び、アドリブという形でその進行に関与する。
細かなダメージ計算のような些事はすべてコンピュータに任せ、人間のマスターは人間特有の機転を利かせてアドリブでミッションへの介入を行うシステムを模索する。
これを端的に言えば、マスターはプレイ前にありもののミッションソースファイルに
出てくる敵の強さを常識の範囲内で配置しているものに修正を加える
トラップを常識の範囲内で配置しているものに修正を加える
NPCを配置しているものに修正を加える
取得アイテムを常識の範囲内で加減する
というおぜん立てを行い、プレイ中は
モンスターのAIをアドリブで加減する
NPCのAIをアドリブで管理する
プレイヤーがNPCに話し掛けたときにはマスターがNPCとして会話する
テーブルトークで敷居となっている数値をコンピュータに完全に委任しさえすれば、だいたいやることはこの程度となるはずである。
コンピュータが出来ることはコンピュータに任せ、人間がアドリブで管理すれば済む部分は人間に任せれば、この程度のことが出来れば大抵のシナリオは実現可能だろう。
もちろんこれが完璧とは言わないが、マスターを含めた参加者2から7人という程度ならATマシンでもサーバとして利用できる程度のシステムとなるだろうし、LANでも過不足なく遊べるレベルのマルチプレイRPGが楽しめるのではないだろうか。
結論として、参加者をマスターとプレイヤーに分け複数参加時においてマスターとプレイヤーの会話に依存した形でシナリオ性を持たせるというシステムが、ネットワークRPGのもうひとつの方法論であると考える。
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