PROMPT>Columns
[Index] [Arcade] [Diary] [Back] [Links]
Prompt Columns

「芸術家」とゲーム〜自己表現としてゲームを作る人達

 Written By  alt-X
 
 
ゲームは商品である

 前のコラムでも軽く触れたこの概念は、少なくともプロであるならば、誰もが念頭に置いていると思います。当たり前の話ですが、(会社に所属する)開発者は別に芸術家ではありません。ゲームという商品を開発するために雇われた従業員に過ぎません。即ち、会社に利益をもたらす事を期待され、そのために働く事を大前提として要求されています。

 ですが、メディアの性質上、ゲームには開発者の個性が強く反映される事が多々あります。そのため、ゲームには、開発者の自己表現ができるメディアであるという側面が存在します。
 この側面が最大の問題点となる訳です。

 はい、もうお分かりですね。つまり、ゲームの自己表現の側面をメインに押し出し商品としての部分を脇に追いやってしまう人達がプロとして存在してしまっている、という事です。この人達を芸術家と呼びましょう。そして、それが今回の主題なのであります。

 まず、ABC氏のコラムレッツ採算分岐点!で述べられた通り、ゲームには開発者とユーザーだけではなく、営業・広告の人達を始めとする開発以外のメーカーの人達や問屋や小売店の人達など、多くの人達が絡んでいます。当然ですね、商売ですから。

 これらユーザー以外の人達は、ゲームという商品を扱って利益を出す事で、自分達の日々の糧を得る事になります。そして、そのために最も重要になってくる事は、結局のところ、ゲームの商品価値の高さな訳です。

 前回のコラムで述べた通り、ゲームの商品価値は多くの人達に受ける(買ってもらえる)事にあります。つまり、商品価値的に考えればユーザーの求めるものを最優先に盛り込むべきであり、開発者の自己表現は(基本的には)ついでに入れる程度でいい訳です。

 ですが、ここで自己表現をメインにしてしまう芸術家の方々が開発者になった場合、話が変わってきます。そう、この人達に決定的に欠けている視点こそ、ゲームは商売であるという概念なのです。もっと言ってしまえば、ユーザーを楽しませるというゲームのエンターテインメントとしての基本部分を完全に忘れきっているのです、この人達は。

 さて、芸術家の方々は自己表現のためにゲームを作っている訳ですから、売れる/売れないユーザーが楽しめる/楽しめないは二の次、三の次と言う主張をします。それでいて会社側が(客観的に妥当な)開発費や納期を提示する(or企画をハネる)と、不平を言う訳です。
 その時、彼らの不平は、全てこんな条件じゃ俺様の求める表現ができないじゃねェか!という点に終始します。この時点で、既に商売から外れてしまっている訳です。だから芸術家なのです。

 ともあれ、そうして作り出された、彼らの自己表現は、本人と、その限りなく少ないユーザー以外にとって、どうしようもないものになる事が殆どです。当然、商品価値も限りなく低くなります。でも、彼らにとっては問題ない訳です。

 なぜならば、彼ら芸術家にとって、それは商売ではないからです。あくまで自己主張であり、もっと言えば芸術なのです。だから、売り上げは関係ないなどというとんでもない台詞を平気で言い放つ訳です。

 ここで、自己表現のためのメディアとしてゲームを選択する事自体の是非は問いません。また、彼らの自己表現そのものについても、ここでは論議する必要はありません。それ以前の問題として、この芸術家の人達はある一点に於いて、プロを名乗る資格がないからです。

 それは、彼らがプロとして責任を取る事ができないまたは初めから取る気が無いという事です。

 そう、彼らが自分の事をどう考えていようと、会社から開発費(彼らの給料含む)を受け取った以上、そのゲームを作るという行為は仕事になります。仕事としてゲームを作る以上、彼らはプロとして働かなければならないのです。

 プロならば。そして、仕事(=商売)としてゲームを作るならば、どんなに最低でも赤字にしちゃいけないんですよ。それがプロの責任なんです。そのためには、自己表現こそが二の次、三の次に置かれるべき事なのです。

 自分の作ったゲームに責任を持つって事は、そういう事なんですよ。自分の芸術に拘り続けたりネットの批評に反論書きまくったりましてや売れないのはユーザーが悪いなどと文句を付ける事じゃないんです。

求められる結果を出す

 これだけが、プロの取るべき唯一の責任の取り方なんです。そして、会社に所属している限り、求められる結果は、常に売り上げになるんですよ。

 だから、会社にとって必要なのは作品ではなく、商品なのです。作品という語感の甘さにつられて、ゲームは商売であるという考えを忘れた芸術家が幅を利かせると、先のABC氏のコラムの通り、被害を被る人が出てしまう訳です。これら被害を受けた人にとって、芸術家自己主張など、なんの意味もありません。
 だって、現実に損失が出てしまってる訳ですから。

 結局のところ、作品(作品性)という幻想は、売り上げという実も蓋も無い現実の前にはどうしようもなく無力である、という事なのです。

 もし、貴方がプロであるならば、ゲームが商売である事、即ち、自分が作っているゲームに(自分自身も含めた)多くの人達の生活が掛かっている事を、改めて認識しておくべきでしょう。

それができない人間に、プロを名乗る資格は無いのですから。

 
 


PROMPT>_